学校給食の食べ残しへの取り組み記事を読んで思ったこと

中学給食食べ残し「最多」→「最少」 達成導いた生徒の取り組みとは (神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170824-00000011-kobenext-l28

これが話題になってたので思うこと。


給食の提供スタイルって、給食係が皿によそって各自に配るっていう流れであってるのかな。昔はそういうスタイルだったので、今もそうだろうって前提で書く。

2人はポスターやクラス訪問での呼び掛けなどを展開。さらに、全13クラスの食べ残しを点数化して少ない順に公表し、最下位のクラスには対策も考えてもらった。最初は取り組みに無関心だった生徒も、残った給食を引き受けるなど次第に協力的になったという。

食べ残しがあるクラスを晒し者にする→
対策を考えるといった面倒なタスクを課す→
回避するために、給食を残すことは悪→
悪を叩く→
残飯が減る

これって食事に対してネガティブ感情が増すし、決していいことだとは思わないのです。残飯が減ったっていいことのように伝えてる記事の裏で、苦しんでいる人がいるんじゃないのって心配になる。

食べられないものは後でトイレに流したり、気の弱い子に無理やり食べさせたりってことになりかねない気がする。昼休みまでかかって無理やり食べさせられたニュースをたまに見るけど心が痛い。

残す理由って、「量が多い」もしくは「美味しくない」だと思う。単純に、適量にして美味しくしたら残飯が減りましたってことなら喜ばしい記事。ただ、この記事から感じるのは無理に食べてるんじゃないかってこと。

残飯を減らす目的のひとつは、成長に必要な栄養バランスを考えられたメニューだからってことだと思うんだけど、記事を読む限り一部生徒が「残った給食を引き受ける」っていう栄養バランスを無視したもののように感じる。

次は考え方が分かれることを前提として書くと、好き嫌いについて。

他の目的は好き嫌いをなくすってことだと思うんだけど、個人的には極度な好き嫌いは置いといて、そこそこの好き嫌いはいいんじゃないかなって思う。自分を振り返ると大人になるにつれて好き嫌いはかなり減り、今では苦手な食べ物は数える程度。味覚なんてここまで変わるんだから、子供のうちからそこまで無理に苦手なものを食べなくてもいいんじゃないかなあって思う。

小学校や中学校の頃の給食メニューを思い出すと、さすがにこれは不味すぎるってものもあった。あのクラムチャウダーは、食べるのは苦痛でしかなかったし残飯の量もその日は多かった。逆に人気メニューの時は残らなかった、例えばカレーとか。



残飯を減らすために考えたこと。

メニューを美味しくする。給食センターはいろいろな条件・制限の上でメニューを作ってるんだろうけど、取り敢えず美味しくなるようにがんばれ。

成長の差も踏まえて、給食の量はある程度の範囲は自分で選択できるようにすること。多めによそった皿、少なめの皿を並べて個人で選んでいく。もしくは、給食係に量を伝えて加減してもらう。

美味しい食事を、美味しく食べることが大事じゃないかなあって思ったので書いた。

世の中がどんどん便利になっていく。

世の中がどんどん便利なモノができて、生きていくのが楽になるはずなのに、そう感じないのは何故なんだろう。

ディープラーニングだとかAIだとか流行りの難しいことはよくわからないけど、食品だって効率よく生産出来るようになってる。何かを作ることも、より楽に短時間で出来るようになってるはずなのに何故なんだろう。

労働時間が減るか、もしくは収入があがっていくはずなのにどうしてなんだろうと思って調べて見た。

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg2/koyo/131031/item2.pdf

減ってた。

労働時間はかなり減ってた。なんだ、昔の人はもっと働いてたのに人類は進歩して確実に労働時間は減ってたんだ。平均給与額が減ってるって話をよく聞くけど、そりゃこれだけ労働時間が減れば給与額も減るよ。

働かなくなって、給料が減って、使うお金が減ってるんだから生活が楽になってるって感じないのも納得。

そして、老いていくにつれ身体の機能は低下していき、体力はおとろえ思うように身体は動かなくなっていく。そういったことも関係してそう。

じゃあ、自由な時間が増えていっている僕らはいったい何をやってるんだ?家計簿なんてつけるよりも、自分の時間配分の把握の方が重要なんじゃないのかって思った。時間家計簿で検索してみたらちゃんとそういうアプリもあるのな。

便利な世の中だ。

なんでみんなそんなに怒ってんの

カリカリしすぎ。カリカリ君かよ。

アイヌヘイトスピーチを探して、何故ゲームプレイヤーのキャラ叩きをつるし上げる? - はてな匿名ダイアリー

特にこれだけって訳じゃなくて、たまたまこれがホッテントリ入りしてたから張っただけだけど。どこの角度から殴ろうか、どこから殴れば安心か、みたいなコメントばかりでさ。

貧困女子学生とNHKの件もそうだし、透けない白衣の件もそうだけど。そんな怒りのブコメをキメるような話でもないのに。「自分、あんぜんなところからの袋叩き好きっすー」って言いながら拳振り上げてんのな。

カリカリしすぎ。カリカリ君かよ。

エアコンのリモコンが複雑怪奇にかくれんぼ

エアコンのリモコンが高齢者に難しすぎる定期 - はてな匿名ダイアリー

この増田を読んだ。

ひどい、あまりにも複雑怪奇である。

エアコンもテレビも、リモコンと名のつくものはパッと見でわからない。自分ですら悩むのに高齢者からすると触りたくないものだろう。

そもそもエアコンの機能が多すぎる。だから故障するんだ。シンプルなものは故障しにくい。人がいるところをセンサーで調べる必要性なんてないんだ。我々は安くて故障しないエアコンが欲しいのだ。

エアコンに求める姿は、冷たい風か暖かい風が出る扇風機。それだけでいい。そうすればリモコンもシンプルになるのにって考えながらリモコンの絵を描いた。

冷房と暖房を切り替えるボタンと温度メーター。温度設定は上とか下はややこしい。実際にメーターをつまみで動かすのがシンプルで分かりやすい。温度計に似たようなインターフェイスは高齢者にも馴染みやすい。

これを描いた後に気づいたけど、そもそも(暖かい)とか(涼しい)ボタンは必要ないんじゃないかってこと。(入)と(切)だけでいいんじゃないか。

ずいぶんスッキリした。これは操作するのに戸惑わない。エアコン自体に温度センサーをつけておいて、それに合わせて暖房と冷房が切り替わる。

そしてエアコンのリモコンはすぐに隠れる。かくれんぼを定期的に始める。そもそもリモコン、リモートコントローラーはリモートである必要性はないからエアコンと紐で結ぼう。そうすれば電池の交換も不要だ。

ぼくのかんがえたさいきょうのえあこん。 今日も暑いね。

ここ数日、ポケモンGOをやっていないことに気づいた。

リリース数ヶ月前からワクワクしていた。 リリース後、数日間はワクワクしていた。 ある時、ふとつまらなくなった。

期待していたものと何が違ったんだろうといろいろ考えてみると、バトルがつまらなかったんだと思う。

やっていて、達成感がなかった。レベルを上げる一番効率のいい方法がひたすら ポッポを集めることだった。メダルには何のプレミアム感もなかった。ジムに行ってバトルをしてても、ひたすらスワイプと連打と長押しっていうAR感も位置ゲー感もないものだった。

もっと楽しめたはずなのに。どんなゲームだったらもっと楽しめただろう。

レベルアップをIngressのようにメダル式にして欲しかった。バトルをもっと楽しめるものにして欲しかった。チーム感をもっと出して欲しかった。期待していただけに残念。

初日の夜中に近所の公園のポケストップからピンクの何かが舞っていて、暇だし行ってみるかって向かってみると薄暗い公園なのに人がたくさんいて。ポケモンをたくさん捕まえた。そんな非日常感は楽しかった。

Ingressの時は周りにガチユーザーは居なかったのにポケモンGOでは周りの人もみんなやってて楽しかった。もうみんなやってない。

早すぎる終わり。 結局、スプラトゥーンに戻ってきた。

ドードーとAKB48のお披露目

うなぎが絶滅する瞬間を見たいという欲望 - はてな匿名ダイアリー

この増田を読んで思うこと。

この感覚はすごくわかる。 ドードーはもう食すことはできない。当時の船乗りが生きていくために絶滅するまで食したのか、美味しいという感情を止められなかったのかは重要ではない。それが人の手によって絶滅したのかどうかなんてことはまったく関係がない。

ようは経験なのだ。

自分はそれを経験した。他の人はそれを経験することは不可能。これが自分の欲求を満たしてくれる。

場末のスナックで語りたいのだ。「昔はよかった」トークと似ている。美味かったかどうかなんて関係ない、もっと美味いものはいくらでもある。だが、越えられない壁に登って経験を語りたいのだ。

こんなもの声を大にして言えるようなことじゃない。実名でネットに公開しようものなら自分の小物感で馬鹿にされてしまう。場末のスナックなのだ。なんなら語らなくてもいい。自分の中で思い返すだけでも、その経験は酒の肴となり自分の人生が少しだけ満足したものと感じる。

例えばAKB48はお披露目ライブではメンバーよりもお客さんの数が少なかったらしい。今ではドームを埋めることができる。そのお披露目に自分がいて、ドームを埋めている今のファンに対して思う感情と似ている。「知っているか、あの頃はメンバーの悩みを聞いてずっと励ましてたんだ。こんな広い会場を埋めたいって話してた。それが実現したんだ」などとドームにいるファンに語りかけたくなるような感情。

AKB48のことはよく知らないまま書いた、自分だったらそういうことを思いそうだなと思いながら。こういう自分の小物感、嫌いではない。

ギャンブル行ってても生活保護くらい貰っていいだろ!

ホッテントリにはいっているこのニュース。

パチンコで生活保護を停止した別府市の「罪と罰」|生活保護のリアル~私たちの明日は? みわよしこ|ダイヤモンド・オンライン

雑にまとめると、生活保護を貰っていると言ってもパチンコに使ったという理由で支給を止めるのは法的根拠がない。必要なのは社会復帰できるように依存症の改善なのではないかって記事。

個人的な考えでは、生活保護は働きたくないって理由だけでも支給をするべきって思ってます。働けない理由としてやる気がないじゃダメなのかなあ。

今調べてみたら国の予算って100兆円くらいあってそのうち年金は11兆円、生活保護3兆円。生活に困ってる人のための予算がたった3%しかないのは救う気がそもそもないんじゃないのかって思ってしまいます。年金の受給額って、その人の生活レベルなんて関係ないからね。収入は関係するけど貯蓄は関係ないからね、多分。ソースは年金もらってるおっちゃん。タバコ吸いながらそう言ってた。信じるか信じないかは自分次第。

それだったら、資産がある人には支給をやめて、生活保護にまわすべきと思います。そもそも国民年金って何のためにあるのかわからないです。労働が出来なくなって収入がなくなったとしても生きていくためという部分だけでいえば、生活保護で代替できるんじゃないかなあ。予算14兆円を生活保護に回せば、世の中はもっと楽に生きていけるんじゃないの。仮に受給者数が1000万人として、年間140万円の支給が出来る。これって今現在の生活保護受給者数の3倍以上の人数と仮定してだからね。

これからは2人で1人の老人を支える時代になります!なんて言ってる人いるけど、それよりは老人に限らずに生活できない人を支えます!のほうがまだよくないです?その老人は数千万の資産があるかもしれないんだよ、そんなの労働意欲がわかないでしょ。

働かなくても生きていけるようになるくらいに科学は発展してると思うんだけどなあ。

なんてこと思ったからブログ更新します。こんばんは、とひまです。