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ドードーとAKB48のお披露目

うなぎが絶滅する瞬間を見たいという欲望 - はてな匿名ダイアリー

この増田を読んで思うこと。

この感覚はすごくわかる。 ドードーはもう食すことはできない。当時の船乗りが生きていくために絶滅するまで食したのか、美味しいという感情を止められなかったのかは重要ではない。それが人の手によって絶滅したのかどうかなんてことはまったく関係がない。

ようは経験なのだ。

自分はそれを経験した。他の人はそれを経験することは不可能。これが自分の欲求を満たしてくれる。

場末のスナックで語りたいのだ。「昔はよかった」トークと似ている。美味かったかどうかなんて関係ない、もっと美味いものはいくらでもある。だが、越えられない壁に登って経験を語りたいのだ。

こんなもの声を大にして言えるようなことじゃない。実名でネットに公開しようものなら自分の小物感で馬鹿にされてしまう。場末のスナックなのだ。なんなら語らなくてもいい。自分の中で思い返すだけでも、その経験は酒の肴となり自分の人生が少しだけ満足したものと感じる。

例えばAKB48はお披露目ライブではメンバーよりもお客さんの数が少なかったらしい。今ではドームを埋めることができる。そのお披露目に自分がいて、ドームを埋めている今のファンに対して思う感情と似ている。「知っているか、あの頃はメンバーの悩みを聞いてずっと励ましてたんだ。こんな広い会場を埋めたいって話してた。それが実現したんだ」などとドームにいるファンに語りかけたくなるような感情。

AKB48のことはよく知らないまま書いた、自分だったらそういうことを思いそうだなと思いながら。こういう自分の小物感、嫌いではない。